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解決の道

 

自己自身と向き合い、決着をつける。

 

それ以外に解決の道はない。

 

 

原田雪渓老師

 

 ポイントを申し上げますと、狐が狐に安住するーー狐が狐に本当になりきって、人間なんていうものになりたくない、もう狐で十分だ、狐になって本当に満足をした状態を「仏」といいます。

 その反対に、人間が人間に満足をせずに絶えず何かを求めている。仏になろう、仏になろうとして求めている状態を「野狐」といっております。

 

 自分の現在の結果に安住できていない状態のときは、絶えず何かを求め続けて、

天上、人間、地獄、餓鬼、畜生、修羅というような六道を輪廻して、グルグル、グルグルと廻って、落ち着くときがありません。

 しかし本来は、例えば地獄界の衆生であれ、人間界の衆生であれ、天上界の衆生であれ、それぞれの世界に安住することができなければいけないわけです。

 

 自分の世界に、本当に安心して落ち着いて住むことができない、他の世界の方が美しく見えたり、何か素晴らしい世界のように思ったりして、絶えず他を求め続けているということは、今日のこの公案の「不落因果」、あるいは「不昧因果」といわれるような状態で、落ち着くことができません。

 したがって、修行の要領として、求め心ーー「求心」といいますーーをやめて、結果に安住して生活する、結果に安住して摂心をするということが、どうしても必要になるわけです。

 

 いまこうして坐っていても、どうしても何かしら、もうひとつうまく坐れない・・・・・・それも本当のことです。しかし、「うまく坐れないから、なんとかうまく坐ろう」などという考えを起こされませんように。坐れなければ坐れない、落ち着かなければ落ち着けないままに、そこに安住するように努力をしていただきたいと思います。

 

 今日の公案について、繰り返し申し上ておきますけれでも、狐が狐に安住して、なりきって、他を羨むことがないときを、「仏」といい、人が人に安住できなくて、何かしら仏になろう、仏になろう、あるいは悟りを開こうとか、安心をしようというような状態であるときを「狐」といいます。そのことをよくお考えになって、これからも修行を続けていただきたいと思います。

 

 

  

坐禅

 

坐禅をしていると、心のなかに絡まった紐が解けてくるような感じがする。

 

 

井上義衍老師

 説法というのは、人のことを聞くんじゃないんです。自分のことを自分で味わう様子が説法の様子です。


 それですから「本性の理」というんです。「本性の理」というのは、決して人の鼻を借りて呼吸をすることはできないんです。各自、人々分上(にんにんぶんじょう)、自分の鼻で自分で呼吸しておる。


 だから、どのようなことが、どのように起こってみても、決して他人のことじゃないはずです。私が話しているようなんですけれども、その実、私の声があるということは、各自、ご自分の様子です。


 法それ自身が、法それ自身として活動しておる。大道それ自身が大道それ自身として活動しておる。生命(いのち)をかけての大問題です。自己を忘じ切ったところにおいて、自己なくして行われる様子がある。


 私が手を打てば「ポン」どうしても、みなさん、そうならなければならんようにできあがっておるんです。「ポン」どうですか。


 それが本来の面目です。すでに是の如く他に行き場はないんです。そうなりたい、それが問題です。修行において長い間の苦労というものは、ただ、この一念、そうなりたいと思う念が起きたために、どうにもならない状態であったということです。

 

 

 

原田雪渓老師

 物心がつくのは四歳か五歳か知りませんけれども、それから八十歳まで生きられたとして、その間、いろんな善いことがり、悪いことがあり、損をした、得をした、是非・善悪があった生活というものは、いったい誰の生活でしょうか。そういう認識の世界、いわゆる私たちが普通、「人間の生活はこうでなければいけない」、あるいは「こうあるべきだ」というような生活は、すべて「我」の生活であります。この「我」というもの、「自我」というものの本当の正体を見つけだす、それが、「禅」であります。

 

 ものが移り変わっているなかで、「移り変わっている」ということを少しでも知ったとすれば、それは「我」というものが知ったのであって、本当の「自己」が知ったのではありません。したがって、私たちのすべての生活の中に、「私」というものを差しはさむことがなくならない限りは、本当に自由で、平和な、満足をした生活というのはあり得ないことです。

 

 とかく「自由でありたい、平和でありたい」という理念、あるいは概念のなかに閉じ込められてしまって、自由の中で自由を欲するために、かえって不自由になっている場合が非常に多いわけです。

 

 したがって、「こうあらねばならない」、「こうあるべきだ」、「こうすべきだ」というような考え方を離れる必要があります。それが、「諸行無常」です。

 

 

 

自然と健康

 

自然エネルギーをとりいれるほど、人は健康になり、

自然から遠ざかったエネルギーをとりいれるほど、人は病気になる。

 

 

アンマ

 

「人間がお互いの中に自己を見出し認識できるようになったとき、

 初めて本当の平和が訪れます。」