原田雪渓老師

 物心がつくのは四歳か五歳か知りませんけれども、それから八十歳まで生きられたとして、その間、いろんな善いことがり、悪いことがあり、損をした、得をした、是非・善悪があった生活というものは、いったい誰の生活でしょうか。そういう認識の世界、いわゆる私たちが普通、「人間の生活はこうでなければいけない」、あるいは「こうあるべきだ」というような生活は、すべて「我」の生活であります。この「我」というもの、「自我」というものの本当の正体を見つけだす、それが、「禅」であります。

 

 ものが移り変わっているなかで、「移り変わっている」ということを少しでも知ったとすれば、それは「我」というものが知ったのであって、本当の「自己」が知ったのではありません。したがって、私たちのすべての生活の中に、「私」というものを差しはさむことがなくならない限りは、本当に自由で、平和な、満足をした生活というのはあり得ないことです。

 

 とかく「自由でありたい、平和でありたい」という理念、あるいは概念のなかに閉じ込められてしまって、自由の中で自由を欲するために、かえって不自由になっている場合が非常に多いわけです。

 

 したがって、「こうあらねばならない」、「こうあるべきだ」、「こうすべきだ」というような考え方を離れる必要があります。それが、「諸行無常」です。