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原田雪渓老師

 

 仏陀が説かれたことは、

「一切の有形・無形の存在は、人の考え以外のところにあり、すべて因縁により生じ、因縁によって滅しているものである。自分とは一切関係なく、出ては消え、出ては消えしている。因縁によって形成されているものは、中心が無く、実体もない。それ故に、終始変化して(無常)、無始無終であり(無我)、認めようがない(無相)』

ということです。

 

 凡夫は、法(いまの事実)が人の考えいがいのところにあるということがわからないために、自分の考えている様子、認識した状態を事実だと思い込む、すなわちまったくみとめようのないものを実体があるものと妄想をして、その妄想に執着して追いまわすために、さまざまな苦しみが生じてくるのであります。生・老・病・死という苦しみに迷うということは、その事実に迷うのではなく、人の考えの中で迷うということです。

 

 生・老・病・死も、人の考え以外のところにある如是の法であります。生・老・病・死という因縁生の世界を二見相対という人の尺度で測り、「苦しみだ、解決だ」と問題を起こすところに問題が生じるということです。

 

 生・老・病・死という法も、自分とは一切関係なく、生じ滅し、生じ滅し、それで終わっているということです。縁になりきり、なりきりしていけば、解決する必要はまったくないということです。

 

 私たちが、なぜ「信決定」に至らないかというと、「因縁生も信じ、同時に自分の考えも良し」と盲信しているところにあります。

「いまの事実というのは、因縁生のものである」とはわかるのですが、「そういう因縁生という事実は人の考え以外のところのものである」という信仰が弱いために、いまの様子を(因縁生と知りつつ)人の尺度で測る習性がなくならないということです。

 

仏陀の説かれた解脱の道は、

「生・老・病・死を自分の事実として、素直に沿っていく。一切、人の考えを用いていまの事実に手を加えない」

ということであります。